私は森喜朗のおかげで政治に興味を持ちました 森喜朗の失言集
【ノーカット】森喜朗 東京オリ・パラ組織委会長が釈明会見 “女性めぐる発言”で (2021年2月4日)
先日の森喜朗、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長の謝罪会見の様子ですが、まあ酷い事(笑)
女性は話が長いからとか公の場での発言が世界中で波紋を呼んでいます。
森氏の失言とも言われる発言はなにもこれだけではありません。
過去にも何回にも渡り失言を繰り返しています。
そこで過去の失言をまとめてみました。
・2000年4月、衆院選を控えた同年5月、神道政治連盟国会議員懇談会でのあいさつで日本を「天皇を中心としている神の国」と表現して物議を醸した。
与党からも「国民主権に反する」と批判が強まり、森氏は記者会見で陳謝に追い込まれた。
・2001年6月の衆院選の遊説で「(無党派層は)寝てしまってくれればいい」と投票棄権を期待するかのような発言をして、現有議席を大きく減らした。
「無党派といわれる人たちの判断が最後は選挙を決める。自民党が強い、というと、判官びいきみたいなこともある。まだ決めていないという人が40%ぐらいいる。そのままといって、寝てしまってくれれば、それでいいんだが、やっぱりそうはいかない。」
と、無党派層批判をした。
このときは、報道で「やっぱりそうはいかない。」の部分がカットされて放送されまくったので「無党派は寝ていてくれればいい」が強調されてしまい、反発を受けていました。
私はこの言葉に目を覚まし、それ以降選挙は必ず投票に行くようになりました。
つまり投票にも行かない=自民党に有利になるという事。
失言はまだまだあります
・2003年には「子供を一人もつくらない女性の面倒を税金で見なさいというのはおかしい」
・2012年の政界引退後も、フィギュアスケート元世界女王の浅田真央さんがソチ冬季五輪で出遅れたことについて「あの子、大事なときは必ず転ぶ」と述べ、配慮を欠くと批判された。
・「言葉は悪いが、大阪はたんつぼだ」
1988年4月、京都市内で行われた懇談会で、大阪人の人間性について
・「みんな淋病(りんびょう)にかかった」
2000年4月、学生時代の思い出を語った時に口を滑らせる
・「イット革命」
2000年4月、IT戦略会議に出席した時に「IT=アイティー」という単語を知らずに読み間違え
さすがIT後進国である
・「私が(官邸に)行かないことで、何が遅れたのか」2001年2月、ハワイのえひめ丸沈没事故の発生時にゴルフ場にとどまったことを指摘されて逆ギレ。
支持率が急落し、4月に首相退陣に追い込まれた
・「国歌を歌わない選手は代表ではない」
2016年7月、リオ五輪の結団式で
・「国民がどうしようかという時期に、なぜ世論調査するのか」
2021年1月、国民の8割が今夏の五輪開催に否定的だった結果を調査時期の問題と“すり替え”
・「英語は敵国語」
2014年2月冬季五輪開催中のソチで執行部の語学力が低いことを受けて
「第2次大戦時、英語は敵国語だった」
と、自身が戦時中のときの話をしていた。
まだまだあります
首相が被災地でパフォーマンスする必要なんてない
「思えば村山富市元首相は偉かったな。阪神大震災で初動が悪かったとずいぶんマスコミにたたかれたけど、そんなことなかった。決断力もあった。小里貞利さんをすぐに震災対策担当相に任命して現地で陣頭指揮を執らせ、自分は首相官邸でドンと構えてね。首相が被災地でパフォーマンスする必要なんてないんだよ。被災者のみなさんに迷惑をかけるだけじゃないか」
と、政権批判をした。
・小池百合子批判
防衛事務次官人事をめぐる守屋武昌と小池百合子防衛相の対立を見て
「(女性の)小池氏に言っていいのか分からないが、武士(もののふ)のたしなみがない」
と、小池さんを批判した。
このころから、女性軽視の方向性は見えていたかも知れないですね。
とまあ上げればきりがありません。
このような人が国のトップにいるわけであります。
そりゃあこの国は世界から置いて行かれるし、成長も出来ず。
衰退の一途であります。